将棋道場遍歴⑩その他編(池袋・高柳)

 「池袋道場」
 同道場には都名人戦(3位が2回)で約10回とアマプロ戦1局で行っている。カードでの対局はない。
アマプロ戦は昭和61年の年末で石川陽生四段(当時)と対局した。あとで見返してみて、かなりあり得ない手を指している。弱いというしか言葉がない。

 私が行っていた途中で池袋道場は引っ越している。同じ池袋駅西口だが、駅からやや近くなった。はじめに行った店はエレベーターが怖かった。ドアを手で閉めるタイプで、昔見た映画の「死刑台のエレベーター」を彷彿させる。墜落しそうなのであまり乗りたくないが、4階まで上るのは面倒だった。帰りは階段で下りている。銀座で働いていた時期(昭和59年から平成7年)、かなり古いビルにいくつか行ったが、さすがに手動エレベーターはもうなかった。

 升田幸三先生を初めて生で見たのは都名人戦の時だった。さすがの貫録で、対局中だったが、ちょっと興奮したことを今でも覚えている。

 ※Eさんの指摘で追加を入れたい。
 昭和55年の終わりごろ、近代将棋の企画である「アマ天狗参上‼」が池袋道場で行われた。アマ強豪の勝ち抜き戦に私が登場、関則可さんに勝っている。最後は関さんに勝つと賞金5万円ということになっており、この一局で企画は終了した。アマトップクラスでもある程度勝負になるという自信をつけた勝利だった。よく私を選んでくれたと感謝する。

 「高柳道場」
 早大将棋部の大先輩である中村千尋さんから頼まれて柳門会(高柳敏夫名誉九段が主宰者)のお手伝いをしたのは平成3年ごろである。平日午後6時すぎから高柳道場(渋谷・道玄坂)で奨励会員(三段中心)4人とアマ4人によるトーナメント戦をやるが、アマのメンバーを選抜してほしいとのことだった。
 仕事が早く終えられる社会人や学生らに声を掛けたが、4人そろえるのはなかなか厳しい。奨励会三段相手なのだから人選も絞られてしまう。どうしても集まらない際は私が指している。半年ぐらい続けたが、やめさせてもらった。トーナメント自体が中止になったのかもしれない。記憶がちょっと曖昧だ。
 社会人は仕事の後できつい(学生も授業はあったと思うが)。それに奨励会三段はやはり強く、アマは苦戦続きだった。アマ側の勝ち越しは渡辺健弥君(当時学生、のちにアマ名人・竜王)だけ。樋田栄正さんと私の指し分けが続く成績と記憶している。私はI三段(現七段)とKA三段(現五段)に勝って、A三段(現アマ)とKO三段(現六段)に敗れた。2回とも1回戦は勝って準決勝で敗れている。三段相手に2勝2敗は上出来なのだが、KO先生には50手ぐらいでぶっ飛ばされた。

 高柳先生とも初めて会うことができた。銀座の会社(当時5時20分終業)から渋谷に来て、夕食を食べる暇は当然ない。そんな状況を分かっていただいたようで、「これを食べなさい」と言われて出されたのが「まい泉のカツサンド」だった。これは食べやすくてちょうどいいなと思ったものだ。妻も好きで、埼玉県支部連合会の総会ではしばしばこのカツサンドを出している。島朗先生(高柳門下)が東日本大震災の際に同サンドを東北に差し入れした話を読んだことがある。高柳先生の影響があったのかもしれない。

 トーナメント以外では子どもや女性が会に参加していた。その時の子どもは現在の村中秀史七段でまだ奨励会に入る前だった。村中先生は高柳先生最後の(棋士になった)弟子である。
 女性は加藤桃子女流三段(マイナビ女子オープンは2勝2敗ですね)の母上。まだ加藤康次さん(故人、高柳門下だった)と結婚される前の話である。

 写真は昨年6月の初級者教室の投了の局面。確かに詰んでいるけど、どうしてこの形になったのかな。
両王手.JPG

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