ドラのお粗末事件簿②不戦敗事件

 事件簿というより「恥の上塗り」コーナーともいえるこのシリーズ。今回は半世紀以上にわたる私の将棋人生の中で最大の汚点になっている事件を書いてみたい。

 昭和52年6月11日(将棋年鑑で確認)は好天に恵まれていた。午後2時ごろ、大学1年の私は早大将棋部の部室にいた。現在の部室は文学部キャンパス内の学生会館にあるが、当時は本部4号館政経ラウンジ上にあった。部室を出ると、すぐ右側に演劇博物館(アジアで唯一の演劇に関する博物館)がある。
 関東春季個人戦で8強に入り、レギュラー入り。リーグ戦も6勝1敗で学生名人戦の代表権を獲得していた。現在は個人戦一本で決めるが、当時はリーグ戦の成績も加味される。今の決め方がすっきりしていていいと思う。
 部室はテーブル席と畳席に分かれる。畳席で大先輩のTさん(X年生)と対局をしていた。私も後にX年生になるとは当時は知る由もない。
 T「学生名人戦はきょうじゃなかった?」。
 小島「明日です」。
 T「君なら結構勝てるよ。頑張りな」。
 小島「頑張ります」。

 ここまでは穏やかで幸せな時が流れていた。ここから一気に暗転する。3時ごろ、全日本学生将棋連盟の委員長を務めていたKさん(4年)が部室に勢いよく入ってきた。畳席の私を見つける。
 K「小島‼ どうして学生名人戦来なかったんだ」。(温厚なKさんにしては声が大きかった)
 小島「えー。明日ですよね」。
 K「今日と明日だよ」。
 その後の会話は全く覚えていない。

 第33回学生名人戦は6月11、12日に新宿の東京厚生年金会館(10年後、読売日本一になっている因縁の会場)で行われた。私の1回戦の相手は藤山順一さん(北大・故人)。不戦敗になったため、関東常任幹事のKさん(理大)が代わって指している。
 大会は3回目の出場の藤山さんが決勝で前年準優勝の深井一伸さん(東大)を破って初優勝を飾っている。出場しても藤山さん(結局1度も対戦しなかった)にはかなり分が悪かったと思う。しかし、不戦敗では話にならない。なお、深井さんとは春に2回対戦しており、個人戦で負けて、リーグ戦で勝っている。

 当時の私は部室にあまり行っていなかった。私の理工学部キャンパスと部室のある本部キャンパスは歩いて15分近くかかるので面倒だった。初めての大学生(当たり前)、初めての寮生活、初めての関東などで落ち着いていなかったこともある。将棋を一生懸命指すという態勢になっていなかった。というわけで連絡が疎かになっており、勝手に日曜・月曜開催だと思い込んでいたのだ。当時は携帯、メール、ラインという便利なものはない。

 一気にどん底に落ちた私だったが、これでこの日が終わるというわけではない。3時すぎから下の階の政経ラウンジで部内の学年対抗戦が行われた。5人編成の団体戦で1~4年の4チームが争う。5年以上でも2チーム(!)つくれそうだが強すぎるので参加していない。この対抗戦はその時だけの企画だったと思われる。
 私は時間の関係で1回戦の4年生チームとの試合にだけ出場している。相手のKさんは将棋を指しているのを見たことがなかった。「心ここにあらず」の心境だったが、ほかのメンバーの手前、頑張るしかない。しかし、鋭い寄せを喫して完敗。4年生はレギュラーとして頑張る人は少なかったが、実力者がそろっていたと思う。将棋より麻雀、競馬が好きな人が多かった印象がある。
 私はここで退席。1年生チームのエースのはずだが全く役に立たなかった。もっともここにいてはいけないのだが。対抗戦の結果は聞いていない。おそらく4年が優勝したはずだ。

 早稲田駅から国立駅に向かう。夜はなんと合コンである。思い切り古い話だが、書いていて嫌になる。日曜に学生名人戦があるというのに(実際は土曜だが)、前夜にコンパを入れるとはひど過ぎる。
 合コンは寮生とK音大(カトパン、広瀬香美らの出身校)の5人ずつだった。さすがにまずいと思って断っていたのだが、寮の先輩に強引に誘い込まれた。とはいえ、先輩後輩の絆を断ってでも拒否すべきだった。
 合コンは本当につらかった。私は男子中学、男子高校を出て、機械工学科(400人で女性0)という男子校一直線で女性と話しなれていない。その上、この不戦敗である。10年後なら「きょうはひどかったな。よっしゃー、気分転換だ」と思って、やけ気味に飲むのだが当時は全く無理だった。ひとり暗い男(性格上無言ではないけど)がいて迷惑を掛けたと思う。どんな店でどんな女性がいたかは全く覚えていない。
 ちなみに合コンと呼ばれるものは、この1年後にあと1回行っただけである。早大将棋部員がK女子大学生と神楽坂(おそらく)で飲んだ。この時は前に座った女性とまずまず話が弾んだ。京都出身の私だが、名所旧跡は女性の方が詳しく、それで少し盛り上がっている(よく覚えていたと思う)。私は小学校で企画されたバスツアーで超有名な所(金・銀閣、清水寺など)に行っただけで、ワンランク知名度が下がるとあまり知らない。
 このコンパに行くかどうかで迷っていたが、楽しかったので良かったなと途中で思った。しかし、トイレから帰ってきたら1年後輩のN君が私の席に座っているではないか。仕方ないので、別の席に。やはり、こういう場所では押しの強い者が勝ちなんだなと思ったものだ。もし、タイムマシンであの場面に戻れるとしたら、絶対にトイレに行かないように注意したい。

 不戦敗事件の後しばらくして、関東学生将棋連盟の幹事会が行われた。私に昭和52年度の全国学生大会(王座戦、王将戦)出場禁止処分という裁定が下っている。関東秋季大会に出られないというわけではないと知ってほっとした。

 同年10月に関東秋季個人戦が行われ、約600人が参加、決勝で小島常明さん(東洋大、おじまと読む)を破って、私が初優勝を飾っている。学生王将戦に唯一参加資格のない私が優勝するのは痛快(?)だなと思って大会に臨んだ記憶がある。なお、私は数年後に春季個人戦で準優勝したが、学生名人戦に出られなかった。この時は学年制限という規定(大昔はなかった)に阻まれている。

 ひどい話でも楽しく書いているのだが、今回だけは複雑な思いがある。こんなお粗末な私ではあるが、お付き合い願いたいと思う。最後に大会の期日・時間、会場、会費などの確認は大会参加に臨む選手として最低限の仕事。しっかりやりましょう(全く説得力はないですね)。

 写真は頂き物の毛ガニ。ありがとうございました。
かに.JPG

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