ドラへの道⑧中学2年生・前編

 昭和47年になり、急成長とはいわないまでも順調にステップアップしていた。教室内のリーグ戦でも好成績が続き、二段昇段を決めている。当時は現代よりも段位が辛かったので、サロンなら平均的な四段というところだろう。ただ、序中盤はほとんど知識がなく、終盤力(大したことないのだが)に頼る将棋で安定性には欠けた。

 夏のアマ名人戦は3回戦の壁を破り、初めて4回戦に進出した。王将戦、名人戦は1日目にトーナメント4回戦まで戦い、勝ち抜いた選手にシード選手らが加わり、2日目に優勝を決める。王将戦は前回の1、2位選手がシード。名人戦はそれ以外に舞鶴、両丹地区代表2人ずつが入る。どちらも2日目は約30人の争いとなる。2日目に残るというのは当時一つの目標となっていた。
 4回戦はU三段と対戦。苦しい将棋だったが、粘って逆転模様となった。舟囲いの7八の玉が2六まで逃げている。敵玉を追い詰め「どうにか勝ったな。ついに2日目だ」と気分は高揚していた。
 ところが観戦者の中から「これ、二歩じゃないの」との指摘が入る。もはや戦いに全く関係ない9筋に目をやると、確かに私は二歩を打っていた。幸せの絶頂からどん底に転落する。
 「あと、(投了まで)ちょっとだったのに」と思ったりもしたが、おそらくU三段の友人がいよいよ危ないとみて助けたのだろう。残念ではあるが、二歩を打ったのだから負けである。
 この日はアメリカから既に帰っていた父と一緒に出場した。父は2回戦で敗れている。「もうちょっとで勝ち残れたのに」と父(全然観戦していない。おそらく本でも読んで待っていたのだろう)に報告したが、「二歩なら負けは仕方ない」と冷ややかだった。確かに二歩を打っていなければ逆転はしなかっただろう。

 アマ名人戦から数週間後、第1回少年王将戦が開催され、中学の部に出場している。同会場で小学生の部と第8回高校選手権の府予選が併せて行われた。高校選手権のついでにということもあっただろう。少年王将戦は現在5月に開催され(今年は中止)、中学生選抜選手権と小学生王将戦の府予選にもなっている。
 50人ぐらいの参加者があったが、有段者は私のみ。危なげなく勝ち進み、初代王者となっている。決勝で対戦したK君はこの大会の後、南口教室に入ってきた。角落ちと飛車落ちの間くらいの手合だったと思う。
 小学校時代に同級生だったM君も参加していた。M君は中学受験しなかったが、その後、京大医学部に合格。今では東大で脳医学の教授を務めている。今でも将棋は好きなようだ。

 同日に行われた高校選手権。個人戦は山田秀明さん(桃山高)が優勝して全国大会の切符を獲得している。あと、団体戦3位の東舞鶴高のメンバーに中田正則さんがいた。山田さんと中田さんは早大将棋部で2年先輩になる。
 団体戦を制した西舞鶴高は羽賀田明さん、山口則夫さん(高校生編で出てくる)がいた。羽賀田さんは5年後に埼玉県名人となる。西舞鶴高は全国大会でも3位と奮闘した。ちなみにもうひとつの3位は浦和高だった。

 高校選手権は前年に大きな変革があった。連盟と新聞企画事業責任者会の共催となり、全国大会の会場も東京から長野・白樺湖に移っている。京都府はこの昭和47年から予選を始めた。なお、高文連が主催するのは第31回(平成7年)から。埼玉新聞に入って取材するようになった年である。
 今年の高校選手権は残念なことに中止になった。今年こそと意気込む選手の思いを考えると悲しいものがある。あと、個人的にも高知には行ったことがないので無念だ(どうでもいいと言われそう)。

 秋になって昨年に続いて京滋団体戦に出場した。南口教室Bチームの大将で出たが、個人的にもチーム的にも厳しい戦いだった。
 優勝候補の京大チームとも対戦、相手は4年前の学生名人の吉田清二さんだった。吉田さんの学生名人戦決勝は有名な将棋。横歩取り4五角戦法で△5四香に▲6八玉△4五桂▲5六歩△同香▲5八歩と進み、先手の吉田さんが快勝している。当時はこの対応が4五角戦法の決定版となっていたが、10年以上後に△4五桂では△5七香成、▲6八玉では▲8五飛が最善と修正されている。この将棋は将棋世界に載っており、吉田さんの名前も知っていた。
 私の四間飛車に吉田さんは4五歩早仕掛け。当時の私は△4五飛の後、▲4六歩に△8五飛と回っていた。知識というより常識がまるでない。これで劣勢になるが、最終的には逆転することが多かった。これは私が怪力というよりも相手が弱かったということだ。この吉田戦ではそういうわけにはいかず、差を広げられて惨敗している。ひどい将棋だったが、有名人と指せて嬉しかったことを思い出す。

 私は将棋世界、近代将棋のほかに何冊か棋書を持っていたが、定跡書は少なく手筋本が多い。「この本を読んだ方がいいよ」というアドバイスをしてくれる人がいなかった。当時持っていた本で覚えているのは次の通り。
 「将棋は歩から」(加藤治郎著)…上中下3巻からなる。上はアメリカに持っていき毎日繰り返して読んだ。
 「将棋の指し方」など(大山康晴著)…池田書店のシリーズ。「将棋の受け方」「将棋棋力テスト」など数冊持っていた。
 「中盤攻めの手筋」(梶一郎著)…写真は当時持っていたものではなく買い直した。相居飛車で△7六銀と出られた瞬間に▲6二歩と金頭を叩く手がすごく印象に残っている。梶九段は機関銃小僧という愛称があった。土居市太郎名誉名人の弟子で大内延介先生の兄弟子になる。
梶本.JPG
 「?」(山田道美著)…山田先生の対振り飛車本だが題名を忘れた。珍しく定跡本である。これも「中盤攻めの手筋」と同じく金園社刊。同社の棋書をほかにも何冊か持っていた記憶がある。

 この本ではなかったと思うが、山田先生の著述で対振り飛車棒銀の出始めの時のことを読んだことがある(山田道美著作集には入っているはず)。当時の棋士の多くが対振り飛車棒銀は玉から遠くの場所を攻めているので筋が悪いと思っているという。棒銀で名高い加藤一二三先生もはじめは同意見だったようだ。これを読んだ当初は「えー?」と思ったが、いま考えると「案外正しかったのかも」という気がしてくる。

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