ドラへの道⑭高校1年生・中編

 アマ名人戦府予選で奇跡の4強に入った1週間後、第10回高校選手権京都府予選に出場する。自他ともに認める大本命と思っていた。
依然としてお粗末な序中盤だったが、前ほどひどくはなくなっている。相手も序盤巧者は少なく、順当に勝ち進んでいく。
 準決勝で同じ1年のM君(桂高)と対戦。全然知らない相手だったが結構力強い。準々決勝までははっきり差をつけていたが、この将棋は苦しんでの勝利だった。
 M君とはこの後、良きライバルとなっている。高校までの付き合いでその後は全く分からない。大会には出なかったのではないかと思う。ただ、大宮将棋センターをやり始めた頃、来店したことがあると思われる。対局カードに彼のフルネームがあり、「小島さんの昔の知人」と早番の添え書きがあった。遅番で会えなかったのは残念でたまらない。

 決勝で山口則夫さん(西舞鶴高、現在は舞鶴支部長)と対戦した。山口さんは2年前の高校選手権男子団体戦で京都府代表となっている。全国大会でも3位、羽賀田明さんの2年後輩である。当時の舞鶴の学生は地元道場で西本馨七段の指導を受けていた。西本七段は木見金治郎九段門下で大山、升田両先生の後輩に当たる。四段昇段後、視覚を失った不運の棋士だった。
私の石田流+穴熊に対して山口さんは玉頭位取りに構える。中盤、私の不用意な動きに対して、山口さんは的確に対応。劣勢になり、そのまま完敗している。アマ名人戦4強という結果に浮かれていた。まだまだ力不足は明らかである。山口さんは私の1週間前の結果は知らなかったようだ。

 この敗戦で代表を逃したわけだが、この話にはおまけがある。後日、南口先生から指摘を受けたのだが、大阪の私立高校である高槻高校在籍の私は大阪府予選に出なくてはいけなかった。今なら常識だが、京都棋界で育った私は京都予選に出ることしか頭になかったのだ。
 途中で私に負けた選手におわびしたい。おわびされてもどうにもならないが…。完全な私のミスだが、大会は申し込み制で主催者サイドの不備という面もあった。現在のように高文連が仕切っていれば、間違いなく「大阪予選に出てください」と言われるが、当時はそういう認識が難しかったかもしれない。それにしてもお粗末なことが多い人生である。

 なお、この大会には後にアマ王座、西日本学生名人になる河原林秀典さんも出場していた。当時はまだ強くなかったようで、早めに姿を消している。

 全国大会で山口さんは予選を突破したが本戦1回戦で敗れている。優勝は甘竹潤二さん(岩手)。甘竹さんはその後、観戦記者となった。トーナメント表を見ると、遠藤龍之介さん(神奈川・現フジテレビ社長)、田淵正文さん(岡山・東大の大将で活躍)、北畠悟さん(青森・現青森県連会長)らの名前がある。
 男子団体戦は白井兄弟率いる東海高(愛知)が初優勝を飾った。学生名人になる弟の康彦さんはその後、ライバルというより目標という存在になる。

 この夏、南口教室をやめて中京クラブという集まりに行くようになる。教室では完全に物足りなくなっていた。円満にやめることができたかどうかは分からないが、当時は強い人と指せるという気持ちでわくわくしていた。
 三浦務さんが自宅を開放して道場のようなことをしていたのが中京クラブである。三浦さんもサロンなら五段強の実力者。当時の京都の若手アマ強豪が集まっていた。誰から誘われたか忘れたが、声を掛けてもらっている。高校選手権で知り合ったM君も行くようになり、そこでよく指したものだ。

 9月ぐらいだっただろうか、暑かったことをぼんやり覚えている。高校の帰り道、国鉄高槻駅近くのアーケードを歩いていたら、レコード屋の前で若い女の子が立っていた。新人歌手のレコードキャンペーンである。細くてかわいい子だなと思ったのが1歳上の木之内みどりさんだった。その後、気にしていたら、しばらくしてから人気者になっている。歌唱力は…だったが、「学生通り」という曲は好きだった。今は竹中直人さんの奥様である。

 写真はきょう開催したドラの穴での忘れ物。忘れ物がない日はないと断言したい。
忘れ物.JPG

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