ドラへの道⑯高校2年生・前編

 昭和50年になった。4月、S塾(学習塾)へ行ったところ、高槻高のK君がノートを見ていた。横から覗き込むと詩が書かれている。
 「あなたにさよならって言えるのは今日だけ―」
 気障なこと書いてるなと思ったが、これは私が流行曲を知らなかっただけ。「風」(男性フォークデュオ)の「22才の別れ」である。元かぐや姫の伊勢正三の作品でイルカ(魚じゃないよ)の歌った「なごり雪」(こちらも伊勢作品)とともにフォーク史に残る名曲だ。
 流行曲とはいえ、それをノートに記しているのは、ちょっと恥ずかしい行為である。かぐや姫といえば、リーダーの南こうせつさん。南さんの娘さんが高校選手権に出ていたことを思い出す。高校を出てから将棋をやめたようだが、またやってほしいものだ。

 5月ごろだったか。高槻高校で同学年のT君から「いとこと将棋を指さないか」と声を掛けられた。話を聞いてみると、京大に入った堀内靖司さんである。話がまとまり、私が京大の部室に行った。
 練習将棋を数局指して勝ったり負けたりのいい勝負だった(と思う)。堀内さんはその年、実家のある富山県からアマ名人戦に出て県代表となっている。昭和51年から53年までは北日本名人になった。あと、昭和52年の学生名人戦では3位。私が事件を起こしてしまった大会である。私が不戦敗した藤山順一さん(北大)に準決勝で敗れている。堀内さんとの対局はこの日が最後で、ついに再戦はなかった。

 時期は全く忘れてしまったが、2年の時に将棋同好会が立ち上がった。ある日の放課後、友達5人ぐらいで教室に入ると担任のF先生と同級生H君が将棋を指していた。友達は2、3級クラスが2人おり、ほかの子も私の将棋を当然知っている。F先生が私たちの方を見て、言ったことに全員で驚いた。
 F先生「(H君を指さし)彼が高槻高校で一番強い将棋名人やぞ」。
 思わずのけぞったが、盤面を見てすぐに分かった。駒組を見れば、2、3級の友達より下ということが分かる。
 F先生「彼を中心に将棋同好会をつくるぞ」。
 小島「協力します」。

 思わぬ形で創設された同好会には私の友達を中心に10人ぐらいが集まった。ちなみに私とH君は6枚落の手合ということが分かる。F先生はおとなしい性格のH君を励ます意味で同好会をつくったのだろう。しかし、誠に申し訳ないが、会の中心人物はH君から私になっている。
 私が卒業して数年後に正式に将棋部が成立している。現在は、高槻高校の中では確実にナンバーワンの部活動といえるだろう(2位はアメリカンフットボール部かな)。高校選手権男子団体戦準優勝、高校選手権男子個人戦優勝などの実績がある。

 6月、アマ名人戦京都府予選の大会要項が京都新聞に載った。その新聞を見て、思わず頭を抱えている。大会初日が修学旅行(北海道)と重なっているではないか。
 母に「修学旅行に行かなくてもいいか」と聞いたが、もちろん駄目だった。さすがに抵抗することなく諦めている。昨夏のアマ名人戦は4強、今春の京都王将戦は8強。まだ代表を狙えるクラスになっていないことは分かっていたが、参加できなかったのは残念だった。

 写真は草津で食べた馬刺し。
馬刺し.JPG

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