ドラへの道⑩中学2年生・後編

 昭和48年3月、京都アマ王将戦に参加した。1回戦は順当に勝ったが2回戦で中江学雄五段と当たっている。当時の京都アマ棋界の番付をつくってみた。あくまで個人的なものである。
【横綱】花園 稔六段(昭和37年度アマ名人)
    松井耕次郎六段(昭和45年度アマ名人
【大関】中江学雄五段(昭和41年度西日本アマ準名人)
    大西就明五段(京都アマ王将、平成18年度に全国シニア名人)
【関脇】若島正(京大)、吉村正幸(京産大)、菊岡隆夫(同)
 小結以下は大勢なので省略。関脇陣の選出は大学生を集めてみた。異論は大いにありそうだ。横綱、大関は文句を言われないと思っている。

 当時の私は母から「将棋はもうやめて、勉強したら」と言われ続けていた。結果を出さないとやめさせられる可能性があるので、大会の結果は非常に大事なのである。というわけで、この頃は大会では必死の覚悟で指していた。

 中江さんは昭和44~46年の3年連続で京都府代表になっている。対局当時は41、42歳。今ではちょっと違うが、当時は指し盛りといわれる年齢である。なお松井さんは中江さんと同い年、花園さんは1年下である。大西さんは少し若く6年下になる。
 対面した中江さんは貫録たっぷりだった。今まで見てきた選手とは違うオーラを感じている。しかし、負けられない対局である。当時の私は自分の段(この時は二段)と比べて「下は論外、同段はもちろん勝つ、1段上は普通に勝つ、2段上は気合で勝つ!」というのが持論(?)だった。この対局は3段差だが…。
 私の四間飛車に中江さんは5筋位取り(おそらく得意戦法)。少なめの脳味噌を振り絞って戦った。100ある能力のうちの120を出している。それぐらいの気持ちと気合だった。
 序盤からやや押され気味で少しずつ苦しくなっていく。終盤も手厚く指されて完敗だった。敗れはしたが、全力投球で指した一局は大きな財産となっている。また、子ども相手にも真摯な態度で臨んでいただいた中江さんには感謝したい。若いうちは、どんな強敵が相手でも全力で戦ってほしい。必ず実を結ぶと思う。

 中学2年の終わりに中学の友達の勧めでラジオを購入した。小学生は21時、中学生は22時までに寝る良い子だったが、ここからは深夜放送を聴く子になってしまう。初めて聞いた「ヤングリクエスト」(朝日放送、以下ヤンリク)は23時25分スタートで、「えー、こんな遅いの」と思ったものだ。
 ヤンリクはリクエスト曲をかけるオーソドックスな番組で初心者向きだった。当時ヒットしていたのは「カリフォルニアの青い空」「シング」「うつろな愛」「マイラブ」「シェリーに口づけ」などだった。友達の影響で急に洋楽を聴き始めている。T・レックスの「イージー・アクション」を聴いた時は「何て変な曲なんだ」とたまげている。
 ヤンリクでもの足りなくなった私は「日本列島ズバリリクエスト」(近畿放送、ズバリクと呼ばれた)を聴き始める。こちらはディスクジョッキー(諸口あきら、尾崎千秋ら)のおしゃべりが中心。どんどん深夜族になっていった。
 なお、「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)、「パックイン・ミュージック」(TBSラジオ)、「セイ!ヤング」(文化放送)は有名番組だったが、聴こえが悪くて断念している。

 中3から高3まで深夜放送を聴きながら勉強していた。これはこれで楽しかったが、勉強にとっては良くない。だらだら3時間勉強するより、1時間しっかり集中してやった方が効果は間違いなく上がる。これは勉強だけでなく将棋でも何にでも当てはまることだろう。

写真は先日食べたピンクグレープフルーツ入りプリン。
ブーケ.JPG

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