ドラへの道㉛大学2年生編・その4

 A級陥落。早大将棋部史上で2度目の屈辱である。何年ぶりだったかは忘れてしまった。二十数年ぶりかと思う。

 数日後、部室とは別の教室を借りて緊急会議が行われた。もちろん降級に関しての反省会である。後にも先にもこういう会議はなかった。
 何を話して、どういうことになったかなどは全く覚えていない。記憶しているのは先輩のXさんが「将棋部はかくあるべきだ」と熱く語っていたこと。悔しかった。部室で指しているのを見たこともなければ、合宿にも来ない人が、どうしてこんなに語るのか。「言う資格なんかないだろ」と思ったが、言っていることは正論(覚えてないけど)ではある。
 20歳になったかどうかの私は文句、意見を口に出すことができなかった。それが悔しくて、教室から部室に戻る道の途中で涙が出てきた。恥ずかしいのでトイレへ行ってごまかしている。誰かに気付かれたかもしれない。
 Xさんとは数年後、和解している。自分が怒っていたことをXさんが知っていたかどうかは分からない。であるから和解というよりも私自身の納得である。XさんはXさんなりに早大将棋部を良くしようと思っての発言だったのだろうと理解した。
 Xさんはその後、将棋ライターになる。「小島、こんな企画はどうだろう」に「それは一部の人しか楽しめませんよ」などと言い返せるようになっていた。Xさんは若くして亡くなられている。もっと本音で語り合いたかった。だいぶ言えるようにはなっていたが、先輩なのでまだ少し遠慮していた。

 OBからも「降級! 何をやっているんだ」というお叱り、励ましをいろいろもらった。OBが部室に来られる回数が増え、会場を借りての対局などもあった。本郷のビジネスホテルで指した記憶がある。
 練習対局は気合を入れない私だが、この時ばかりは集中して指した。負けたら「やっぱり弱いな。だから落ちるんだ」と言われそうな(そんなこと言うわけないけど)気がしたのだ。全部勝たしてもらっている。

 こういう周りのサポートや意識の改革などで部室の雰囲気は徐々に良くなっていた。ただ、適当な時間になったら4人ずつが抜けていく(お分かりですね。雀荘に向かいます)ことに変わりはない。そういう私もその一員である。

 麻雀について書いておこう。私は中学の時に覚えて家族4人でやっていた。理工学部の仲間(ほとんど初心者)の友達の中では圧倒的に強かったが、将棋部では完全なカモである。
 手が良いときは攻めて、悪いときはおりる。このヒットアンドアウェー戦法は相手が弱いと通用するが、レベルが高くなるとうまくいかない。よく先輩から「将棋は強気だけど、麻雀は弱気だな」と言われたものだ。これは違っている。強気、弱気のレベルはどちらも同じはずだ、私の攻めに関しては麻雀より将棋の方がハイレベルで、相手の受けに関しては将棋のレベルが低いから、そう思われるのだろう。
 そんなわけで、麻雀はB、C級メンツと打つことにしていた。それでも場代があるので完全な負け組雀士である。

 当時は都電早稲田駅の方にある「いこい」で打っていた。途中から「コスモス」と名称が変わり、少しきれいになった。経営者が代わったかどうかは分からない。その後は大隈通り商店街に出てすぐの「シロクジャク」(漢字かどうか忘れた)で打っていたこともある。それから西口の「みよし」でみんなが集まるようになる。
 早稲田で徹夜麻雀をやるときはグランド坂近くの「X」だった。ここは朝までやって650円ぐらいで、朝にはカップラーメンを出してくれた。
 高田馬場では「S」「F」でやはり徹夜麻雀をした。リーグ戦の後は3、4卓ぐらい成立している。たまには東大など他大学の顔触れも見かけた。
 新宿・歌舞伎町ではなんといっても「M」である。ここは有名雀荘で、やはり他大学の将棋部員もよく使っていた。

 麻雀は大学の時はヘボなりに熱心にやっていたが、社会人になってからほとんど打っていない。プロセス資材に入った時に、麻雀と酒を両方やるのは良くないかなと考えて、酒を選んだ。この選択が良かったかどうかは分からない。半年に1度から2年に1度ぐらいになり、5年に1度ぐらいになった。最後に牌を握ったのはいつか思い出せない。

 写真は頂き物の沖縄産アップルマンゴー。ちょうど良い熟れ方で絶品だった。
マンゴ.JPG

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

かわいい