テーマ:昔話

ドラへの道㊷大学3年生編・その2

 昭和54年度関東大学春季リーグ戦は5月13日(東洋大学白山校舎)、20日(国学院大学)、27日(東京農業大)で行われた。早大はB1級3位という屈辱的な位置、A級復帰が絶対的な使命で臨んだ。  大将から小島(3年)、久保田旭(4年)、小川千佳夫(2年)、山下和男(4年)、梅田大三郎(1年)の5人が固定のメンバーでフル出場した。残りの2…
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ドラへの道㊶大学3年生編・その1

 4月から3年生となり、主将に就いている。今まで早大将棋部は幹事長(主将の役目も兼ねる)、会計の2本柱で部活動を進めてきたが、小島は不安ということで、この年から主将、幹事長(草野文夫)、会計(渡辺義夫)の3人体制となった。なお、部長は大学教授が務めることになっており、当時は増田富寿先生(政経学部)だった。  この年の新人は過去5年ぐら…
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ドラへの道㊵大学2年生編・その13

 第2回東京六大学リーグ戦が昭和54年3月29、30日に東京・将棋会館で行われた。大会前日に富士吉田市の春季合宿から戻ってきている。  この大会の第1回は雑誌「将棋クラブ」の企画で52年度に実施されたが、2回目からは夕刊紙「夕刊フジ」が後援しての開催となった。棋譜が夕刊フジに載るという大きな特典が生じている。契約の際には谷川俊昭さん(…
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ドラへの道㊴大学2年生編・その12

 第9回学生王座戦と第7回学生十傑戦は昭和53年12月13~17日、大阪市の労働会館で行われた。現在は三重県四日市市で開催されているが、当時は大阪だった。個人・団体とも早大将棋部は代表になっていないが結果を記しておきたい。  この年から全日本学生将棋連盟に北信越地区が正式加盟、王座戦は1校増えて、10校の戦いとなっている。北信越地区の…
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ドラへの道㊳大学2年生編・その11

 リーグ戦が終了、秋のシーズン残すは選抜トーナメント(学生王座戦の関東第2代表を争う)、古豪新鋭戦(関西では二軍戦と呼ばれる)となった。B1級3位の早大は選抜トーナメントの出場権がない。古豪新鋭戦はリーグ戦3試合以上出場者には参加資格がない。私の2年生の学生大会は全て終わったことになる(全国オール学生はなかった)。  選抜トーナメント…
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ドラへの道㊲大学2年生編・その10

 昭和53年関東大学秋季リーグ戦は10月22日から11月12日まで東洋大学、国学院大学などで行われた。前期で降級したため、B1級での戦いとなった。春と比べて1年の小川千佳夫君が大きな戦力となり、3年の久保田旭さんがかなりパワーをつけており、総合力はアップしている。  初日はB2級から上がってきた法大、武蔵工大に⑥-1、⑤-2と快勝…
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ドラへの道㊱大学2年生編・その9

 大学2年時、麻雀は週に2回(部室へ行った後)ほどやっていたが、酒を飲むことはほとんどない。暇な時に何をしていたかというとゲームをやっていた。今のようにポータブルなものはなく、ゲームセンターに行ったり、喫茶店のテーブルに組み込まれたものをやっていた。大学2年ごろは後者が多かったかもしれない。  1年時は「ブロックくずし」ばかりやってい…
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ドラへの道㉟大学2年生編・その8

 大学時代の夏のイベントといえば、アマ名人戦、東日本学生大会、夏季合宿(全て毎年参加したわけではないが)である。しかし、2年の夏・春の合宿はほとんど記憶がない。開催地はともに富士セミナー(たぶん富士吉田市)というペンションのような所だった。  合宿3大棋戦(最強者戦、早指し王位戦、王将戦)で3冠王になったことはなかったので、間違いなく…
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ドラへの道㉞大学2年生編・その7

 第32回アマ名人戦の埼玉県西部地区予選は狭山市の入曽駅近くの公共施設(おそらく入曽公民館)で行われた。入曽駅は私の最寄り駅である新所沢駅から下りでひと駅なので、楽だった。いろいろと大会の場所が変わるのは面倒だが、いろんな所に行けて楽しい面もある。  当時の西部のレベルは高かったが、同じ組に強豪はいなかったようで順当に勝ち抜いた。2日…
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ドラへの道㉝大学2年生編・その6

 第4回東日本学生大会は昭和53年8月1~3日に仙台市民会館で行われた。今の東日本大会の出場規定は知らないが当時はこうなっていた。春季リーグ戦を制した大学が関東Aチーム(この年は中大)、選抜されたメンバーが関東Bチーム、常任幹事が集まった関東Cチームが団体戦に出場する。個人戦はその中から何人かが出場するが、選抜メンバーは全員出られた気が…
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ドラへの道㉜大学2年生編・その5

 春季の関東学生大会で個人戦ベスト16、リーグ戦6勝1敗という結果を残した私は学生名人戦の切符を無事に獲得した。現在は個人戦8強以上が確定、16強で負けた8人が残りの椅子をトーナメントで争う方式となっている。前にも書いたが、これが最善の方法と思う。  当時の選出方法は個人戦を重視するがリーグ戦の結果も加味する。この時の代表選手は4強以…
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ドラへの道㉛大学2年生編・その4

 A級陥落。早大将棋部史上で2度目の屈辱である。何年ぶりだったかは忘れてしまった。二十数年ぶりかと思う。  数日後、部室とは別の教室を借りて緊急会議が行われた。もちろん降級に関しての反省会である。後にも先にもこういう会議はなかった。  何を話して、どういうことになったかなどは全く覚えていない。記憶しているのは先輩のXさんが「将棋…
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ドラへの道㉚大学2年生編・その3

 関東春季リーグ戦は5月7、14、21日に東洋大学白山校舎で行われている。1回戦は入部以来2度目の早慶戦だった。  慶応は2年前の高校選手権男子団体戦を制した慶応義塾高校のメンバー3人(柏原、村松、長谷川)が主力。私は1年の長谷川君と対戦して勝利を収めた。長谷川君はこのリーグ戦以降、姿を見なくなった気がする。センスある将棋だったのでち…
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ドラへの道㉙大学2年生編・その2

 当時の早大将棋部の部室は現在の部室(1度しか行ったことがないが)よりやや広めだったが、20人も入れば満員になる。暑苦しい中で指したのも今では良い思い出である。  対局は部内リーグ戦が中心で、あとは練習将棋となる。リーグ戦は真面目な戦いとなるが、それ以外は人にもよるが、ちょっと真剣味は少なかった。  入部当初、「パンツ!」「パンチョ…
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ドラへの道㉘大学2年生編・その1

 昭和53年4月4日の夜、私は後楽園球場(現東京ドーム)の外野席にいた。巨人戦ではなく、ファンだったキャンディーズのファイナルコンサートに出掛けている。「普通の女の子に戻りたい」という迷セリフを残して引退した彼女らの最後のイベントにぜひ行きたかった。私としては珍しく面倒な作業(大したことはないけど)を踏んでチケットを入手している。  …
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ドラへの道㉗大学1年生編・その8

 昭和52年の12月頃だったか。桃園書房という出版社から当時の早大将棋部の幹事に「将棋雑誌をつくるから編集の手伝いをしてほしい」という連絡が入った。53年早々に「将棋クラブ」2月号が創刊されている。  編集のバイトには3、4年生が入ったようだ。詰将棋コーナーも読者からの問題が掲載されている。創刊号なのに不思議な話だ。実は全てではな…
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ドラへの道㉕大学1年生編・その6

 昭和52年度関東秋季リーグ戦は10月30日から11月13日までの3日間、東洋大学と東京理科大学で行われた。関東学生名人として迎えたリーグ戦は悲惨な結果となっている。慢心が招いたもので、技術は低いということを忘れてはならなかった。  初日は個人、チームともに1勝1敗。今回は2~4将で指している。前回よりだいたい一つ上の位置だろうか。 …
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ドラへの道㉔大学1年生編・その5

 後期に入り、部室に行く回数が増えた。それまで理工キャンパスから本部キャンパスまで10分ほど歩いていたが、定期的に出ているシャトルバス(両キャンパスを往復)の存在に気付いたからだ。これで雨の日でも猛暑でも行きやすくなった。  後期から1年同期のI君が入部してきた。4局ほど指したが、1回負かされている。ひねり飛車から猛攻を受けてつぶ…
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ドラへの道㉓大学1年生編・その4

 大学1年の前期が終了した。部室にははじめのうちは2週間に1度くらいしか行っていなかったが、不戦敗事件以来は週に1度顔を出すようにしている。  部内の新人王戦(前期の会費を納めた1年生が参加)は2局しか指さなかった。先輩から「指さなくていいよ」と言われたのでやめている。ただ、私が先輩の立場ならどうするかは難しいところだ。今なら部全体の…
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ドラへの道㉒大学1年生編・その3

 寮の左右隣の部屋にはそれぞれ早大1年の同期が入っていた。Kさんは政経学部、Mさんは商学部で私より1歳上である。Kさんの部屋に3人で集まり、だらだらとテレビを見たりしていた。  当時印象に残っているテレビ番組は「岸辺のアルバム」(山田太一脚本)、3人で夢中になって見ていたものだ。ジャニス・イアンの主題歌「ウィル・ユー・ダンス」は今でも…
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ドラへの道㉑大学1年生編・その2

 個人戦最終日の5日後、昭和52年度関東春季リーグ戦が開幕している。実はこの昭和52年は大きな転換期で、昨年まで1リーグ6校制(8リーグ)だったが、現在と同じ8校制(6リーグ)になっている。前期のA級6校は全部残留でB1級の1、2位校を加えてA級は構成されている。加盟校が50校を超えたための処置である。現在(昨年秋季時点)は5リーグで4…
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ドラへの道⑳大学1年生編・その1

 昭和52年3月末に京都から新所沢へ引っ越した。父親の勤務する会社の独身寮に入っている。4階は全て大学生で10人ぐらいいた。  4月1日、早大の入学式である。新入学生はなんと1万500人、多すぎて記念会堂(文学部キャンパス)に入り切らず、午前と午後の2部制で行われた。  入学式の後、寮に帰ろうと歩きだす。東西線の早稲田駅を目指したが…
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ドラへの道⑲高校3年生・後編

 前年に創設された将棋同好会だが、後輩たちが入部して若干活動が充実してきた。中心となったのは高校2年の2人だったが、彼らがどれぐらいの棋力だったかは全く忘れている。  中井順一君という同期がいた。同学年の中で私を除けば一番強かった。ほかのメンバーは二枚落以下と思うが、彼だけは角落ちか飛車落ちぐらいだったはずだ。もっとも高3になってから…
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ドラへの道⑱高校3年生・前編

 ドラへの道⑰の最後に書いた京滋団体戦が高校生活最後の大会となった。大会終了後、大学受験に専念という態勢に入っている。  高校3年になる前に自分から将棋の一時引退は言い出した。どうせ母からそう言われるのが分かっていたので、「将棋は受験が終わるまでやめる。ただ、詰将棋パラダイスだけは買い続けさせて」と切り出した。本当は詰将棋もやめて…
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ドラへの道⑰高校2年生・後編

 昭和50年の6月だったか。高校選手権大阪府予選に参加した。会場などは全く忘れている。「将棋まつり」的イベントだったような気がする。坪内利幸先生ら棋士が何人かおられたことは記憶している。  トーナメントの早い段階で敗れた。会場で名田兄弟が有名という情報が入る中、兄の名田満さんに完敗している。弟はまだ中学生(奨励会員になる)なので大会に…
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ドラへの道⑯高校2年生・前編

 昭和50年になった。4月、S塾(学習塾)へ行ったところ、高槻高のK君がノートを見ていた。横から覗き込むと詩が書かれている。  「あなたにさよならって言えるのは今日だけ―」  気障なこと書いてるなと思ったが、これは私が流行曲を知らなかっただけ。「風」(男性フォークデュオ)の「22才の別れ」である。元かぐや姫の伊勢正三の作品でイルカ(…
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ドラへの道⑮高校1年生・後編

 高校1年の途中から四条大宮にあるS塾という学習塾に通うようになった。全体で60人ぐらいだったか。高槻高校の京都在住者が10人近く在籍していた。Sさんという塾長にカリスマ性があり、私は学校より塾に行くのが楽しみになっている。  秋ごろ、塾で小学校から高校まで同じI君から「小島知ってる? 池上がテレビに出てんの」と声を掛けられた。話を聞…
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ドラへの道⑭高校1年生・中編

 アマ名人戦府予選で奇跡の4強に入った1週間後、第10回高校選手権京都府予選に出場する。自他ともに認める大本命と思っていた。 依然としてお粗末な序中盤だったが、前ほどひどくはなくなっている。相手も序盤巧者は少なく、順当に勝ち進んでいく。  準決勝で同じ1年のM君(桂高)と対戦。全然知らない相手だったが結構力強い。準々決勝までははっき…
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ドラへの道⑬高校1年生・前編

 高校受験はせず、高槻高校へそのまま進学した。今も昔も高校入試を行わない完全中高一貫校であるが、入試をやっていた時期もあったようだ。平成29年からは男女共学校となっている。45年前にやってほしかった。  7月前半、第28回アマ名人戦京都府予選に参加した。この頃は完全に四間飛車穴熊党になっている。戦法を絞ってからは勝率がさらに良くな…
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ドラへの道⑫中学3年生・後編

 中学3年の秋、加納信義さんがまとめ役になって若手の研究会が発足した。加納さんは私が初めて大会参加した時に惨敗を喫した人である。同じ南口教室の一員(加納さんはたまにしか参加していない)で、教室で会った際に話がまとまった。  南口教室が日曜開催だったので土曜日、冬休み、春休みに集まった。メンバーは支部対抗戦で優勝した際のメンバーであるS…
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